2008年8月29日金曜日

新しい社会契約を結ぼう


 新しい社会契約と社会主義

 「利潤のためという動機は、資本家同士の競争と共に、資本の蓄積と使用に不安定をもたらし、不況が深刻化することになる。制限のない競争は労働の巨大な浪費と、既に述べたような個々人の社会的意識の麻痺をもたらしている。 人々の社会的意識の麻痺は、資本主義の一番の害悪だと私は思う。われわれの全教育システムは、この害を被っている。過度に競争的な態度が学生に叩き込まれ、学生はその将来のキャリアの準備として、欲深い成功を崇拝するように訓練される。 私は、このような深刻な害を取り除くためには一つしか道はないと確信している。すなわち社会主義経済と社会の目標に向けた教育システムの確立である。」(アルバート・アインシュタイン『何故社会主義か』「科学・社会・人間」94号2005)        
  (全文: http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/historical/whysocialism.html

 マルクス的社会主義は,唯物史観や剰余価値説などすでに批判したように,独断と偏見にもとづいており科学の名に値しません。「社会主義」自体は,人間の選択可能な一つの価値判断です。社会主義は科学的でなければなりませんが,価値判断である以上は,決して科学ではないのです。社会主義は一つの理想です。人類にとって実現されるべき理想です。それは人類共通の価値である人権(human rights―人間の正義)と社会的公正の思想から必然的に帰結する理想です。
 しかし近代における人権は,個人(とりわけブルジョア)の利己心から生じ,平等は形式的なものにすぎませんでした。資本主義は,自由競争と労働者を犠牲にした飽くなき利潤の追求によって発展しました。そこに多くの社会問題や欧米列強(日本も参加)による世界植民地支配が引き起こされ,経済的不平等は拡大しました。これは形を変えて現在も続いています。そして社会問題を解決するために,労働者を主体にして経済的平等と人間の解放を求める社会主義運動が起こされたのです。

 今や有限な地球にあって市場の行き過ぎを統制するための理念は,弱肉強食の競争原理ではありえません。人類的な課題を解決するために,諸個人の人間的自覚と社会的連帯が求められています。社会主義の理念(イデオロギー)は,種々の形態や異なる主張をもちますが,これらの課題を人類の社会的連帯によって解決するために,将来においても有効性をもっています。
 社会主義は,「科学的法則」として独善的に決定され、また独裁的な指導者によって与えられるのではなく,多くの人々の英知を集めた人類共存のための「実現すべき理想」とされなければなりません。社会主義とは,社会正義を実現する運動であり,人間性に根ざす道徳的社会の実現を目ざす運動なのです。そしてこの事業は,理想を理想として自覚すること,すなわち西洋的な理想(思想)が,人間の認識や価値判断の結果であるにもかかわらず,あたかも神(または自然法則)から与えられた絶対的真理であるかのような思考様式を克服することから出発しなければならないのです。

 新しい社会契約は、西洋近代の合理主義的思想が生み出したような、人間に先天的に備わり、(神ないし天・自然によって)与えられたものとして、既定のものとしての人権(human rights)や、カントの考えるような道徳的法則に基づく社会契約、または歴史の必然から革命的に訪れる理想社会なのではなく、人間の社会的自覚に基づく社会契約となるでしょう。また多数決によって定められる法(契約)は、人間の主体的自覚と参加によって成立するものでなければなりません。
 意見の違いや利害の対立は、「公正と社会正義」を基準として公開の議論によって調整されねばなりません。しかし意見の違いや利害の対立は不可避であり、全員合意の約束が成立するとは限りません。ロールズ(アメリカの政治哲学者)は、この場合の「正義」を、格差原理──最も恵まれた条件が許されるのは、最も恵まれない人の利益にならねばならない──に求めました。ただこの原理は格差の程度や契約(交換)の不平等な条件への調整原理がありません。(最低生活が保障されれば、格差の上限はない。しかし、格差が平均的所得の十倍を超えれば、人間の能力や幸運の差異を考慮しても、正義の原則を越えるとみなすべきではないか。)

 相互不信、相互の無理解が不必要な摩擦と不信を生む。独断と独裁は最も避けなければならない。人間の知識や判断能力には限界があるからである。今日の新自由主義的経済学の功利主義と福祉国家の理念には主体的参加の哲学が欠如している。その名称にこだわる必要はないが、社会主義は社会的自覚と参加、そして社会的公正と正義を哲学としてもつがゆえに、未来においても存在意義をもつのである。



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